夏至前後

17日

ありがたいお誘いをいただくも、土日休みではないシフト制の労働者であるがゆえにお断りせざるを得なかった。残念……。でも、こちらが一方的にツイートを見て憧れていた遠い存在だと思っていた方からの突然のDMは、飛び上がるほど嬉しかった。

 

18日

わたしはあまり自分から発話するほうではない、ということに今さら気づく。人とくだらないことを話せるのは嬉しくて、雑談したいと思っているのに、そういえば自分から積極的には話を振ることがあまりない。だから、わたしのような、自分から発話しないタイプの人とはなかなか雑談ができない。

 

19日

よっしゃ帰るぞ〜と思ったらまだ定時の2時間前だった。なぜかとても疲れている。

 

20日

閉店30分前に有楽町のストーンに滑り込んでコーヒーフロートを飲み、日比谷公園で読書した。風が涼しくて最高でした。明日は夏至

 

24日

初台のfuzkue に3時間籠って文庫本1冊を読みきった。1冊を1日で読み終えるのは本当に久しぶりのことで、いい日になった。早く読むのがいいとかそういうことではなくて、少しずつ読み進めるとわかりにくくなってしまう1冊の重量感みたいなものを全身で享受できるのが嬉しい。

 

28日

夢のなかで、空の段ボールを探して走り回っていたら2箱見つけたところでくたびれて吐いた。現実でも吐いているのではないかと思う味がして、慌てて起きたが無事だった。ただ、外の気温は30度で、部屋がとても暑くなっていたのでエアコンをつけた。

それにしても暑い。起きたらホットのカフェオレを飲むのが好きな朝の日課だったのに、それが難しい気温になってきて悲しい。

 

30日

新しい眼鏡をかけて出勤するも、誰も何も言ってくれず、わたしは一体今まで何を、そして今は何を身につけているんだ? と脳が一瞬ぐらっとした。何も言えないくらい似合っていないのかもしれないが、わたしは気に入っているのでもういい。大きめの黒縁で、かけると以前の顔よりもおとなしくて従順そうな感じが減るのがお気に入り。

何時もの夏がすぐそこに

1日

職場で、不機嫌な人間の相手をする時間が発生。帰り道に愚痴を言っていたら、そういう時間のことを同僚が「魂が吸い取られる」と表現していて、本当にそうだと思った。いつかは慣れるものですかね、と言ったら、「でも、慣れたとしても、魂が吸い取られる感じは減らない気がします」と返された。

帰宅してテレビをつけると、「NHK MUSIC SPECIAL 椎名林檎」をやっていた。観ているうちに、いくら吸い取られても無限に増殖する孤高の魂を育てなければ、という気持ちになった。

 

6日

上司に、昨日夢に出てきたと言われる。何かの事件に巻き込まれ、職場のみんなは他の場所に避難しているなか、わたしだけ人質に取られていたらしい。働き始めて半年ちょっとで上司の夢に出演するまでになるとは。夢に出られて光栄です、と言ったら、周りにいた同僚に「役柄はなんでもいいんだね」と笑われた。わたしが悪いことをしたわけではないからいいんです、と返したけど、上司の夢の中でわたしはどんなふうに振る舞っていたのだろう。

 

8日

別のタイミングで何となく手に取って、ちまちまと並行して読み進めている2冊の本に、同じ本からの引用が出てきて嬉しくなる。セレンディピティ……。いつか引用元の本も読みたいので、孫引きになるけどメモしておく。

今はジル・ドゥルーズの『差異と反復』を読んでいる。イントロダクションにこう書いてあった。「反復すること、それは行動することである。ただし、類似物も等価物もない何かユニークで特異なものに対して行動することである」。また「そして、そのような外的行動としての反復は、それはそれでまた、秘めやかなバイブレーション、すなわちその反復を活気づけている特異なものにおける内的でより深い反復に反響するだろう」

──イリナ・グリゴレ「シーグラス」『優しい地獄』

全く知らないことや、よく知らないことについて書く以外に、果たして書きようがあるのだろうか?(…)わたしたちは自らの知識の先端、つまり既知と無知を隔て、片方からもう片方へと移行させるこの極限点においてしか書くことができない。このような方法によってのみ、わたしたちは書くことを決意できるのだ。

[Gilles Deleuze, Différence et répétition, Presses universitaires de France 1986, P4, 筆者訳]

このフレーズは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズがその代表作の導入部分に書いたものだ。ここには後に、彼が長年の盟友である精神分析家フェリックス・ガタリと共に作り上げた「脱領土化」[déterritorialisation]という哲学的コンセプトの本質が凝縮されている。

──ドミニク・チェン『未来をつくる言葉──わかりあえなさをつなぐために』

 

11日

電車で、自分が持っているのと全く同じShakespeare and company のトートバッグを持っている外国人男性を見つけて、静かに仰天した。相手は気づいているだろうかと内心どきどきしていたものの、何もなく、わたしが先に電車を降りた。身につけているものがおそろいの人を街なかで見かけたことが、これまでなかった気がする。こんなにそわそわと落ち着かない気持ちになるとは。

 

散歩が遠ざかる

5日

一日ずっと職場にいるのは気が詰まるから、晴れていれば休憩時間には散歩するようにしている、と同僚が話していて、わたしも働き始めた当初はそうだったことを思い出した。このところはそれどころではなく、休憩時間には休むことだけに専念したい。お弁当を食べたら少し読書をするといった感じで、ずっと座って過ごしている。散歩がいつのまにか、自分の中の休憩に含まれなくなっているのは寂しい。

 

6日

「急だけど、今日空いてたりしない?」と友人から連絡が来た。今日は仕事だと返信すると、同行者が急に来れなくなったイベントに一緒に行かないかという誘いだった。とても楽しそうなコーヒーのイベントだった。残念。でも、急に誘ってもいいと思われていることが嬉しかった。

 

7日

駅から職場に向かう道中、前を歩く同僚を見つけて声をかけた。その人は傘を持っていなかった。家を出る時は雨が降っていなかったから傘を持たずに来たという。今日はこの後ずっと雨ですよ、と言いながら、傘に入れてあげる。

ファン・ジョンウン『ディディの傘』の訳者解説のなかで、著者がつぎのように語っていたと記されていたことを思い出す。

「私にとっての革命基本は、雨が降ってきて傘をさしたときに、隣の人は傘を持っているだろうかと気にかけること」

 

13日

同僚と一緒に帰る。絵を描くことを趣味としているその人の前で、美術館に行くのが好きだとぽろっと言ってしまい、好きな画家を訊かれた。訊かれて気づいたが、こういう質問はなかなかされないし、だから、自分の中に決まった答えが用意されていない。咄嗟に、ヘレン・シャルフベックと答えた。そんなに詳しくないけれど、8年くらい前に上野に観に行った展示が印象的で、去年公開されていた映画を観に行けなかったのが心残りになっている画家。

 

24日

何かを忘れているような気がしつつ退勤。ぼんやりしながら同僚と駅まで一緒に帰っていたら、その人が「あれってそういえばどうしたっけな……」と忘れていたことを必死に思い出そうとしていた。わたしも思い出すべきことがあるような気がする、思い出したいけどそもそも何を……、ともやもやしながら、疲れ切った同僚と並んで言葉少なに電車に揺られた。

ワオーン

17日

職場で作業していたら、今日は出勤してこない人の悪口大会に居合わせてしまった。仕事のことから仕事には関係のないことまで、何人かが軽い口調でその人についての文句を言っていた。「今から悪口を言うんだけど」という前置きがとても堂々としていたからちょっと笑ってしまったけど、別になんの免罪符にもなっていない。しまいには「あんなんじゃ友達できないよ」とまで言われていた。そんなふうに評されるその人と気が合いそうだと密かに思っていたわたしは、聞いていないふりをして黙々と作業を続けるしかなかった。いま思えば、さりげなく、でももっと明確に意思表示をする手立てがあったはずだ。

革命は席を立つこと悪口のおしゃべりの中おしっこに行こう
/菊竹胡乃美「あかるい前歯」『心は胸のふくらみの中』

 

20日

原爆の図丸木美術館をはじめて訪れた。岡村幸宣『《原爆の図》のある美術館──丸木位里丸木俊の世界を伝える』を読みながら、電車に揺られて移動すること約2時間。何かのついでではなく、そこを訪ねるためだけに行くような場所に建っていて、厳かな気持ちで辿り着いた。《原爆の図》も、企画展の趙根在写真展も、すごいものを目の当たりにしたと思わされた。言葉のない表現がダイレクトに心に訴えかけてくるものに圧倒されて、こういうものにふれつづけていたいと思った。

わたしには言葉の力をどこかで信じているところがある。けれど、言葉を介さずに受け取ったものを言葉にしないまま自分の中に保存できるということの純度をうれしくも思う。むしろ最近は、非言語で思考や感情を受け取ったり手渡したりできる瞬間のほうが好き。

犬じゃなくてよかったあなたと同じ種でよかった透明なしっぽが揺れる

私がもしオオカミやったら君が泣く声にワオーンと絶対返すよ

/菊竹胡乃美『心は胸のふくらみの中』

言葉を操る人間だからこそ知るコミュニケーションの喜びももちろんある。でも、言葉がないのに相手が何を考え感じているかがわかってしまう瞬間もあって、そういう時、言葉を持っているということが邪魔になる。相手が言っていないことを勝手に読み取って理解した気になるのはすれ違いの元だし、傲慢だとも思うけれども。

4月26日の夢日記

高校の時の友達と久しぶりに会った。楽器をやる人の小さな集まりでのことだった。テニス部員だった彼女は、大学に入ってから友人の影響でチェロを始めていた。その、チェロをもともとやっていた、友達の友達も一緒に来ていて、2人の雰囲気が驚くほどよく似ていた。長く一緒に暮らす夫婦はだんだん顔が似てくると聞くけれど、友達同士でもそうなのだろうか。

友達は「チェロに興味はあったけど、この子がいなかったら実際にチェロをやることはなかったと思う」と言った。友達の友達は「わたしのほうが先にチェロ始めてたのに、今じゃあの子のほうがずっと上手になっちゃった」と笑った。

昨日、平和園の小坂井さんの記事を読んだばかりで、小坂井さんがこう語っていたのが印象的だった。

「短歌に限らず『始めるのが遅かった』『もっと若いうちからやってれば』って言う人いっぱいいるじゃん。でも、それは絶対ないと思う。その分、今までいろんなことやってきたんだからいいじゃん」

https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/saritote02

春めく

4日

仕事帰りに試写会へ行き、『ガール・ピクチャー』を観た。18歳になる3人の女の子の3週間を描いた、フィンランドの青春映画。3人のうちの1人がアセクシャルかもしれないことに悩む人物だと聞いて観たかった映画で、そういう人が出てくる作品はこれからもいくらでもあってほしい。

残念だったのは、カフェでの試写会で、確保した席はスクリーンが見づらく、あまりいい環境ではなかったこと。でも、何よりも、わたし自身が仕事終わりで疲れていて、全然集中できていなかった。もう仕事帰りに映画を観に行こうとかいう悪あがきはやめたほうがいいのかもしれない、と少ししょんぼり帰宅した。

 

7日

お弁当を準備する元気がなかったので、パン屋に寄ってから職場へ向かう。風がものすごく強い。職場に着くと、日本に来てからまだ日の浅い同僚に「春は風が強い季節ですか」と訊かれた。わたしの思う春はもう少し穏やかだけど、季節の変わり目はたしかに風が強いような気もするし、それにしても、去年もこんなに風が吹いていたんだっけ、と考えて釈然としない返答をする。「これじゃあ桜が散ってしまいますね」と同僚は言った。

この朝の会話を昼休みに思い出していた。今年はあまり桜に気が向かず、花見らしいことをしなかったので、今どれくらい花が残っているのかもわからない。でも、そういえば今朝買ったのは桜あんぱんで、値札に添えられた「今年最後の桜あんぱん!」というポップに惹かれて買ったのだった。

 

12日

今年はじめてのアイスコーヒーを飲んだ。カフェの店員さんが小声で「にゃー」とか「よーしよしよし」とか言いながら、食器を運んだりてきぱき働いていた。その人がバックヤードで「帰ったら寝る!!」と言っている声が聞こえたときはもう、パスタを食べながらとびきりの笑顔になってしまった。とてもいい職場なんだと思う。

10月16日の夢日記

電車で遠くの町にやってきた。町をただ歩き回り、暗くなったところで駅に戻る。切符を買うために帰り方を調べるが、時間やお金がかかりすぎる経路ばかり提示されて泣きそうになる。地元の人たちに見守られ、助けを借りながら、次の電車が来るまでの間、いい帰り方がないか懸命に調べた。