ワオーン

17日

職場で作業していたら、今日は出勤してこない人の悪口大会に居合わせてしまった。仕事のことから仕事には関係のないことまで、何人かが軽い口調でその人についての文句を言っていた。「今から悪口を言うんだけど」という前置きがとても堂々としていたからちょっと笑ってしまったけど、別になんの免罪符にもなっていない。しまいには「あんなんじゃ友達できないよ」とまで言われていた。そんなふうに評されるその人と気が合いそうだと密かに思っていたわたしは、聞いていないふりをして黙々と作業を続けるしかなかった。いま思えば、さりげなく、でももっと明確に意思表示をする手立てがあったはずだ。

革命は席を立つこと悪口のおしゃべりの中おしっこに行こう
/菊竹胡乃美「あかるい前歯」『心は胸のふくらみの中』

 

20日

原爆の図丸木美術館をはじめて訪れた。岡村幸宣『《原爆の図》のある美術館──丸木位里丸木俊の世界を伝える』を読みながら、電車に揺られて移動すること約2時間。何かのついでではなく、そこを訪ねるためだけに行くような場所に建っていて、厳かな気持ちで辿り着いた。《原爆の図》も、企画展の趙根在写真展も、すごいものを目の当たりにしたと思わされた。言葉のない表現がダイレクトに心に訴えかけてくるものに圧倒されて、こういうものにふれつづけていたいと思った。

わたしには言葉の力をどこかで信じているところがある。けれど、言葉を介さずに受け取ったものを言葉にしないまま自分の中に保存できるということの純度をうれしくも思う。むしろ最近は、非言語で思考や感情を受け取ったり手渡したりできる瞬間のほうが好き。

犬じゃなくてよかったあなたと同じ種でよかった透明なしっぽが揺れる

私がもしオオカミやったら君が泣く声にワオーンと絶対返すよ

/菊竹胡乃美『心は胸のふくらみの中』

言葉を操る人間だからこそ知るコミュニケーションの喜びももちろんある。でも、言葉がないのに相手が何を考え感じているかがわかってしまう瞬間もあって、そういう時、言葉を持っているということが邪魔になる。相手が言っていないことを勝手に読み取って理解した気になるのはすれ違いの元だし、傲慢だとも思うけれども。