何時もの夏がすぐそこに

1日

職場で、不機嫌な人間の相手をする時間が発生。帰り道に愚痴を言っていたら、そういう時間のことを同僚が「魂が吸い取られる」と表現していて、本当にそうだと思った。いつかは慣れるものですかね、と言ったら、「でも、慣れたとしても、魂が吸い取られる感じは減らない気がします」と返された。

帰宅してテレビをつけると、「NHK MUSIC SPECIAL 椎名林檎」をやっていた。観ているうちに、いくら吸い取られても無限に増殖する孤高の魂を育てなければ、という気持ちになった。

 

6日

上司に、昨日夢に出てきたと言われる。何かの事件に巻き込まれ、職場のみんなは他の場所に避難しているなか、わたしだけ人質に取られていたらしい。働き始めて半年ちょっとで上司の夢に出演するまでになるとは。夢に出られて光栄です、と言ったら、周りにいた同僚に「役柄はなんでもいいんだね」と笑われた。わたしが悪いことをしたわけではないからいいんです、と返したけど、上司の夢の中でわたしはどんなふうに振る舞っていたのだろう。

 

8日

別のタイミングで何となく手に取って、ちまちまと並行して読み進めている2冊の本に、同じ本からの引用が出てきて嬉しくなる。セレンディピティ……。いつか引用元の本も読みたいので、孫引きになるけどメモしておく。

今はジル・ドゥルーズの『差異と反復』を読んでいる。イントロダクションにこう書いてあった。「反復すること、それは行動することである。ただし、類似物も等価物もない何かユニークで特異なものに対して行動することである」。また「そして、そのような外的行動としての反復は、それはそれでまた、秘めやかなバイブレーション、すなわちその反復を活気づけている特異なものにおける内的でより深い反復に反響するだろう」

──イリナ・グリゴレ「シーグラス」『優しい地獄』

全く知らないことや、よく知らないことについて書く以外に、果たして書きようがあるのだろうか?(…)わたしたちは自らの知識の先端、つまり既知と無知を隔て、片方からもう片方へと移行させるこの極限点においてしか書くことができない。このような方法によってのみ、わたしたちは書くことを決意できるのだ。

[Gilles Deleuze, Différence et répétition, Presses universitaires de France 1986, P4, 筆者訳]

このフレーズは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズがその代表作の導入部分に書いたものだ。ここには後に、彼が長年の盟友である精神分析家フェリックス・ガタリと共に作り上げた「脱領土化」[déterritorialisation]という哲学的コンセプトの本質が凝縮されている。

──ドミニク・チェン『未来をつくる言葉──わかりあえなさをつなぐために』

 

11日

電車で、自分が持っているのと全く同じShakespeare and company のトートバッグを持っている外国人男性を見つけて、静かに仰天した。相手は気づいているだろうかと内心どきどきしていたものの、何もなく、わたしが先に電車を降りた。身につけているものがおそろいの人を街なかで見かけたことが、これまでなかった気がする。こんなにそわそわと落ち着かない気持ちになるとは。