ぬいぐるみのこと

大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を読んだ。

外に出たり、人と会ったり、人と連絡を取りあったり、というそれまでふつうにできていたことが、約二年前にぱったりと、わたしには難しいことになった。最近はかなり持ち直してぼちぼちやっているが、やっぱり一人で自室にいるときがいちばん心地よい。そういう状態なので、この作品には泣かされた。特に後半の、麦戸ちゃんが大学に来られなかった理由がわかったあたりや、成人式と同窓会を経た七森が家にこもってあまり人と会わなくなるあたりからは、自分の体験が思い出されて、心臓がぎゅっとなった。返事にとにかく時間がかかること、人を待たせること、自分の持っている特権について、やさしさと無関心について……。いろいろ引用したりしながら感想を書きたかったけれど、書くために読み直したらまた泣いてしまうと思うので、今日のところは、今わたしのいちばん近くにいるぬいぐるみを紹介します。

 

そのぬいぐるみは、わたしが小学校高学年のころに家に来た。「リサとガスパール」のリサのぬいぐるみだ。ガスパールも一緒に買ってもらって、しばらくは妹とのごっこ遊びで引っ張りだこだったが、わたしが中学生になるとクローゼットのぬいぐるみの箱にしまわれた。それを二年前に引っ張り出してきて、それからはずっと枕元にいてもらっている。

たしか、くたくたリサという名前で売られていた。頭は綿がぎゅっと詰まってしっかりしているものの、首から下はほんとうにくたくたしている。うまくバランスをとれば座らせることもできるが、大抵はだらんと寝そべらせている。眠る前に心臓に何かのしかかってくるものを感じる時は、リサを胸の上に乗せる。すると、落ち着いて深くゆっくり息をしようと思える。なかなか寝付けない時は、リサの足を握らせてもらう。表面は程よくふさふさしているし、大きさがわたしの手のひらにちょうどいいので、手の中にあると安心する。

最近はぬいぐるみに頼らなくてもリラックスして眠れる日が増えた。でも、またクローゼットにしまおうとは思わない。枕元がすっかり定位置になって、そこにいるのが当たり前になった今は、もうしまえないなぁと思う。